鈴木淳之介 経歴まとめ|FC岐阜落選からW杯代表への道

落選、出場機会ゼロ、コンバート。

この3つの転機がなければ、今の鈴木淳之介は存在しなかったかもしれません。

岐阜の少年がW杯代表選手になるまでの道のりは、順風満帆とは程遠いものです。

この記事では、FC DIVINE時代からFCコペンハーゲンまで、3つの転機を軸に経歴を整理しました。


目次

鈴木淳之介の経歴まとめ

まず全体像を把握しておきましょう。

鈴木淳之介は2003年7月12日生まれ、岐阜県各務原市出身のDFです。

現在22歳(2026年6月時点)。
身長180cm、体重78kg。
ポジションはCBとWBを兼ねます。

🏠 幼〜小:FC DIVINE(各務原市)
🏃 中学:SC岐阜VAMOS
🏫 高校:帝京大学可児高等学校(2019〜2022年)
⚽ プロ:湘南ベルマーレ(2022〜2025年7月)
✈️ 海外:FCコペンハーゲン(2025年7月〜)

これだけ見ると「順調な王道ルート」に見えます。

でも、実態は全然違います。

各ステージで壁にぶつかり、そのたびに向きを変えてきた選手なんです。


幼少期〜中学:岐阜で磨いた基礎

鈴木淳之介のサッカー人生は、岐阜県各務原市のFC DIVINEから始まります。

この時期に培った足元の技術が、のちのプレースタイルの原点になります。

FC DIVINEで培った両足技術の秘密については、こちらの記事で詳しく解説しています。

中学では地元の強豪、SC岐阜VAMOSへ進みます。

このクラブはこれまでに約20名のプロを輩出している岐阜の名門です。

ただ、当時の鈴木は「飛び抜けた存在ではなかった」とも言われています。

名門クラブにいながら、特別に目立つ選手ではなかった。

そして中3のとき、最初の大きな壁が来ます。


転機①:FC岐阜U-18セレクション落選

中学3年生のとき、地元JクラブのFC岐阜U-18セレクションを受けます。

結果は——

落選。

名門SC岐阜VAMOSに所属していながら、Jクラブのユースには入れなかった。

この事実、けっこう重くないですか。

でもこの「落選」が、その後のすべてを変えます。

Jユース落選がなければ、帝京大可児への進学もなかった。遠回りに見えた選択が、実は最短ルートだったのかもしれません。

「兄を超える」という動機

セレクションに落ちた鈴木は、帝京大学可児高等学校への進学を決めます。

本当の動機はこうでした。

「兄を超える意味でもここでプレーしたいと思いました」

鈴木淳之介の家族・兄弟についてはこちらで詳しく紹介しています。

単なる進路選択ではなく、兄への対抗心が動機だったんです。

しかも自宅から通える距離なのに、あえて寮生活を選択しています。

自分を追い込む姿勢は、この頃からすでにありました。


高校時代:帝京大可児で全国へ

帝京大可児での成長は驚くほど速かったです。

高校2年生の2020年12月——

湘南ベルマーレへの加入内定が決まります。

入学から2年も経たないうちに、プロクラブから声がかかったわけです。

FC岐阜のユースに落ちた中学生が、です。

全国高校サッカー選手権では2021年・2022年と2年連続で優秀選手に選ばれています。

帝京大可児の恩師は、その後もこう証言しています。

「日本代表になった今も『調子のってる』なんて聞いたことない」

全国で結果を出しても、代表になっても、変わらない姿勢がある。

高校時代に築いたのは、技術だけじゃなかったんですね。


転機②:プロ1年目の壁

2022年に湘南ベルマーレに加入します。

ルーキーイヤーの2022年は——

ほぼ出場機会なし。

全国2年連続優秀選手がプロでは出られない。

高校と社会人の壁って、こういうことだと思います。

本人はその苦しさをこう語っています。

「サッカー人生で一番、壁に当たった感じ」

FC岐阜ユース落選を乗り越え、全国で評価されて、プロに入った。

それでもまた壁があった。

でもこの時期の苦しさが、次の転機の土台になります。


転機③:CBコンバートが運命を変えた

2024年シーズン、鈴木はボランチとして起用されていました。

しかし、イエローカード2枚など試合の流れを悪くする場面が目立ち、第5節以降はベンチ外になっていました。

追い詰められた状況での、山口智監督の決断——

ボランチ → CBへコンバート

2024年6月1日のガンバ大阪戦で、鈴木はCBとして起用されます。

崖っぷちからの一手でした。

サッカーダイジェストの湘南担当記者はこう説明しています。「元々テクニックが売りの中盤の選手で、昨季の夏頃に山口智監督によってセンターバックにコンバートされました。ドリブルで相手のプレスを剥がしながらボールを運んだり、前線の選手にクサビを入れたりと、攻撃面での活躍が期待できる」

中盤で培った技術が、CBという新しいポジションで武器になった。

「弱点」だったポジションのなさが、コンバートで「強み」に変わった。このどんでん返しが鈴木淳之介のキャリアの核心です。

コンバートへの本人の思い

鈴木自身はこう語っています。

「可能性を見出し、コンバートしてくれた山口智監督には感謝しています。試合慣れしたことで守備でも攻撃でも自分の持ち味を出せるようになり、さらに伸びていると感じている」

3バック左に定着し、試合経験を積み重ねていきます。

コンバートから約1年でW杯代表へ

2025年5月、A代表初選出。

そして2026年5月15日——W杯代表に選出されます。

ガンバ戦でCBに転向してから、約1年の出来事。

本人はその速さについてこう笑いながら語っています。

「人生、何があるかわからないな、という感じですね」

この一言が、鈴木淳之介という選手の本質を表している気がします。


欧州へ:コペンハーゲン移籍とW杯代表

2025年7月9日、FCコペンハーゲンへの完全移籍が決まります。

デンマークの強豪クラブ。背番号は20番です。

湘南でのJ1通算49試合という数字が、欧州クラブの目に留まりました。

そして驚くことに

移籍初年度にはファン投票による年間最優秀選手にも選ばれています。

コペンハーゲンでの活躍の詳細はこちらでまとめています。

新天地でも、すぐに結果を出したんです。

📅 移籍:2025年7月9日
🏆 背番号:20番
⚽ CL出場:7試合
🥇 ファン投票年間最優秀選手:移籍初年度に受賞
FC岐阜ユースに落ちた中学生が、欧州でファン投票1位になった。この事実だけで、経歴を追いかけた価値がありましたよね。

鈴木淳之介のプロフィール・経歴・代表歴の全体像はこちらでまとめています。

まとめ

落選、出場機会ゼロ、コンバート。

3回の転機がすべて、今の鈴木淳之介につながっています。

✅ 2003年7月12日生まれ、岐阜県各務原市出身
✅ 中3でFC岐阜U-18セレクション落選 → 帝京大可児進学で急成長
✅ 高2でプロ内定・全国高校サッカー選手権2年連続優秀選手
✅ プロ1年目はほぼ出場機会なし。「サッカー人生で一番、壁に当たった」
✅ 2024年6月CBコンバート → 約1年でA代表・W杯代表選出
✅ 2025年7月FCコペンハーゲンへ移籍。CL7試合出場・年間最優秀選手獲得

最後までお読みいただきありがとうございました。

欧州で戦う日本人選手の動向は、これからも追いかけていきます。

ぜひ一緒に応援していきましょう。

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この記事を書いた人

はじめまして、あおです。

物心ついた頃から、ずっと日本サッカーを応援してきました。

久保建英がレアル・マドリードのユニフォームを着て
世界のスーパースターたちと並んでいた瞬間。
鳥肌が立って、涙が出そうになりました。

ドイツ戦、スペイン戦、ブラジル戦、イングランド戦。
格上を倒す瞬間の震えが忘れられなくて、今日も追いかけています。

日本サッカーはまだ頂点に立っていない。
でも、絶対にそこに届くと本気で信じています。

気になった選手のことを一緒に深掘りしましょう。
SAMURAI WATCHへようこそ。

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