塩貝健人の高校と学歴、気になりませんか。
國學院久我山という偏差値70の進学校から慶應へ——なぜ彼はこの道を選んだのか。
2026年5月、2026FIFAワールドカップの日本代表に選出された塩貝健人。
ブンデスリーガのヴォルフスブルクでプレーする21歳が、なぜ一度「大学生」という道を選んだのか。
この記事では、國學院久我山時代のエピソードから慶應進学の経緯、そして欧州移籍までの軌跡を整理します。
國學院久我山という「進学校」で何が起きていたのか
塩貝健人の出身校は、東京・杉並区にある國學院久我山高校です。
偏差値70を誇る都内屈指の進学校で、都内601件中20位にランクインする学校です。
「サッカーで日本一、勉強で東大を」という環境
指導した監督のモットーは「サッカーで日本一、勉強で東大を」。
この言葉が、塩貝の高校時代を象徴しています。
塩貝は主要科目の成績がオール5とされ、文武両道を地でいく存在でした。
スポーツ推薦で入学したものの、1年生のときはCチーム中心。
全国的に無名のまま、高校1・2年時を過ごしています。
練習量が「異次元」だったという証言
ここが、塩貝という人間を一番よく表しているエピソードです。
ゲキサカの取材によると、同級生はこう証言しています。
昼休みも筋トレを欠かさず、練習前には自主的に走るなど、練習量は異次元だったという。
試合に出られない時期でも、ひたすら積み上げていたわけです。
さらに慶應ソッカー部の公式ブログには、こんなエピソードも残っています。
荒野行動(スマホゲーム)で負けると、ひとりでコソ練をして何度も再戦してきたという。
高3の選手権東京予選で「東京にエグい奴がいる」と話題に
2022年度・第101回全国高校サッカー選手権大会東京予選の準決勝。
帝京との一戦で塩貝は2得点を叩き込みます。
「東京にエグい奴がいる」という評判が全国に広まり、大会優秀選手・日本高校選抜にも選ばれました。
NumberWebの記者は「本田圭佑を取材したとき以来の眼差し」と評したほどの強烈な印象を残しています。
なぜ慶應義塾大学に進学したのか
実はここに、塩貝の進路の核心があります。
高3夏の時点で、塩貝はまだ「無名」でした。
AO入試で進路を決め切っていた
慶應義塾大学法学部政治学科へのAO入試を、高3夏に突破。
つまり、選手権で脚光を浴びる前にすでに進路が確定していたのです。
複数のプロクラブから練習参加オファーがあったにもかかわらず、決まっていた進路通りに2023年4月、慶應義塾大学に進学しています。
高校最後の試合後、グループLINEに送ったメッセージ
NumberWebの取材で明らかになったエピソードが、特に印象的です。
高校最後の試合が終わった直後、塩貝は仲間のグループLINEにこう送ったという。
「4年後に自分はW杯に出る」
試合が終わった直後ですよ。
感傷的になる場面で、すでに次のゴールを宣言していた。
この宣言を2026年5月、本当にW杯代表選出という形で実現させています。
「進路を決め切ってから全力でサッカーをした」という構造
進路が高3夏に確定していたということは、選手権の時期には「進路の不安」がゼロだったことを意味します。
受験勉強とサッカーを同時に抱えながら戦う他の選手と違い、塩貝はサッカーだけに集中できる状態でした。
塩貝健人のプレースタイルが気になる方はこちらもどうぞ。

慶應ソッカー部での爆発的な活躍
慶應に入学した塩貝は、1年生から背番号10を託されます。
これだけでも、周囲の期待の大きさが伝わりますよね。
1年目で得点王・新人賞・ベストイレブンを独占
2023年、関東大学サッカーリーグ3部で
15得点
得点王・新人賞・ベストイレブンを受賞
チームの3部優勝・2部昇格にも貢献しています。
1年生でこの数字は、率直に言って異常です。
2024年の関東大学リーグ2部では、8試合12ゴールという驚異的なペースで得点を重ねました。
「負けず嫌い」と題して綴った父母への感謝
慶應ソッカー部の公式ブログに、塩貝本人がこんな言葉を残しています。
「応援してくれる家族、幼い頃から誰よりも私の活躍を喜んでくれた父と母」への感謝を綴った文章で、タイトルは「負けず嫌い」。
強い言葉や派手なアピールではなく、家族への感謝と「負けたくない」という純粋な気持ち。選手権後のグループLINEの宣言と重なって、人間としての芯の太さが伝わってきます。
在学中に横浜F・マリノスのJ1デビューも経験
2024年1月25日、横浜F・マリノスへの2027年シーズン加入が正式に内定しました。
本人は「一刻でも早くJ1得点王を取れるように精進したい」とコメント。
さらに2024年4月にはJFA・Jリーグ特別指定選手としてJ1デビューを果たし、リーグ7試合1得点を記録しました。
大学在学中にJ1デビューまでしてしまうとは、誰も予想していなかったと思います。
慶應進学という「選択」が欧州・W杯代表への最短ルートだった
大学進学を選んだ塩貝が、最終的にW杯代表まで辿り着きました。点と点のつながりを整理してみます。
モーリスレベロトーナメントでのハットトリックが欧州の目を引いた
2024年6月、慶應在学中にU-19日本代表としてモーリスレベロトーナメントに出場。
イタリア相手に5得点
ハットトリックを含む・大会得点王を獲得
このパフォーマンスをNECナイメヘン(オランダ)が評価し、横浜FM内定を解除してオランダ行きを決断しています。
「慶應を卒業するつもりだった」が、代理人の一本の電話で変わった
Qolyの取材によるNEC幹部の証言が残っています。
塩貝は慶應を卒業するつもりでいたが、菅原由勢と同じ代理人から連絡が来て、オランダ行きを決断したという。
「卒業するつもりだった」という言葉が、当初の覚悟の大きさを物語っています。
NEC→ヴォルフスブルク→W杯代表という軌跡
2024年8月28日、NECナイメヘンに加入(4年契約、背番号9)。
1年目は公式戦5ゴール、2年目は9ゴールでブレイクしました。
2026年1月20日、VfLヴォルフスブルクへ移籍。契約は2030年6月30日まで(4年半)、背番号7。
移籍金 推定950万ユーロ
約17.5億円・市場価値800万ユーロ(Transfermarkt 2026年5月27日更新)
2026年3月28日、スコットランド戦でA代表デビュー(78分途中出場)。
84分には伊東純也の決勝ゴールをアシスト。
そして2026年5月15日、2026FIFAワールドカップの日本代表に選出されました。
塩貝健人のプロフィール・経歴の全体像は、こちらの記事でまとめています。

まとめ
- 塩貝健人の出身校は國學院久我山高校(偏差値70)で、主要科目の成績はオール5とされる文武両道の選手だった
- 高3夏の時点でまだ無名だったため、AO入試で慶應義塾大学法学部政治学科への進路を先に確定させ、その後の選手権で頭角を現した
- 慶應ソッカー部では1年目に関東大学リーグ3部で15得点・得点王を獲得し、在学中に横浜F・マリノスへのJ1デビューも果たした
- 2024年のモーリスレベロトーナメントでイタリア相手に5得点・大会得点王を獲得したことがNECナイメヘン加入のきっかけとなり、その後ヴォルフスブルクへ移籍(移籍金推定950万ユーロ)
- 2026年5月15日、2026FIFAワールドカップ日本代表に選出され、高校最後の試合後に送ったグループLINEの宣言を実現させた
塩貝健人の軌跡は、「どこにいるか」より「何をしているか」が結果を決めると教えてくれます。
欧州で活躍する日本人選手たちの動向は、これからも追い続けていきます。
