鈴木唯人は、入学を2度断られかけた高校で10番を背負った選手です。
今やSCフライブルクでブンデスリーガのピッチに立つ彼ですが、その原点は千葉県の名門・市立船橋高校にあります。
「高校時代はどんな選手だったの?」
この記事では、朝岡監督のインタビューをもとに、2度の保留から10番獲得までの3年間を丸ごとたどります。
市立船橋高校とはどんな学校か
まず市船の凄さを知っておくと、鈴木唯人が「どうしても行きたい」と訴えた理由がわかります。
市船の実績と全国での位置づけ
市立船橋高校の正式名称は「船橋市立船橋高等学校」。
千葉県船橋市に位置し、サッカー部の実績は国内屈指です。
市立船橋高校公式サイトによると、主なタイトルはこちら。
🏆 全国高校サッカー選手権 5回優勝
🏆 全日本ユース選手権 1回優勝
高校サッカーのタイトルをここまで積み上げているクラブは、全国でもほとんどありません。
「市船」という愛称で、全国のサッカーファンに知られる存在です。
主なOBと輩出した選手たち
市立船橋が輩出した選手のリストは、日本サッカーの歴史と重なります。
北嶋秀朗(元柏レイソル)、杉岡大暉(柏レイソル)、畑大雅(シントトロイデン)、鷹啄トラビス(C大阪)など、現役のJリーガー・海外組を多数輩出。
そして鈴木唯人の同学年には、畑大雅と鷹啄トラビスがいました。
なんとも豪華な世代ですよね。
フライブルク移籍の際には、市立船橋高校にも連帯貢献金が支払われたことが話題になりました。
サッカー部の指導方針・文化
公式サイトに掲げられた理念は「サッカーを通じた人間教育」。
自立した選手・チームを目指し、自ら考えて解決する実践力を養うことを大切にしています。
技術だけを伸ばす場所ではなく、人間として成長させる文化がある。
その環境が、後の鈴木唯人の「自分で判断する力」を育てたとも言えます。
鈴木唯人が市立船橋を選んだ理由
ここが一番驚きました。
彼の市船入学は、スカウトではなく「本人の熱意」だけで勝ち取ったものだったんです。
葉山中から市船への経緯
鈴木唯人は神奈川県・葉山町立葉山中学校の出身。
小学校時代は横浜FMプライマリー追浜でプレーしていました。
日刊ゲンダイの朝岡監督インタビューによると、入学のきっかけはスカウトではありませんでした。
鈴木唯人本人が熱意を持って練習参加を申し込み、葉山中の顧問の先生が人を介して市船に連絡を取るという形だったといいます。
自分から動いて扉を叩いた。その積極性が、後の彼の姿勢そのものですよね。
入学を2度保留された真実
ここが、この話の核心です。
朝岡監督のインタビューによれば、最初の印象はこうでした。
同学年には、強さの畑大雅、速さと高さの鷹啄トラビスがいた。
彼らと比べると「突出した武器がない、爆発的なものがないイメージ」と映ったといいます。
その結果——
入学の判断を、2度保留されました。
後に朝岡監督は「今になると反省しかない(笑)」と振り返っています。
面接での「どうしても市船に行きたい」発言
2度の保留を経ても、鈴木唯人は諦めませんでした。
朝岡監督のインタビューによると、面接の場で彼はこう訴えたといいます。
市船が取ってくれなかったら
他のチームに行くしかないんです」
熱っぽく、真剣に訴えたこの一言が、入学を決定づけました。
中学生がここまで自分の意志を言語化して、大人に向けてぶつけられる。
その強さが、3年後に号泣しながらピッチを去るシーンにもつながっていきます。
高校時代の3年間でどう成長したか
入学の熱意とは裏腹に、1年生のスタートは苦しいものでした。
でも、だからこそ3年間の変化が際立ちます。
1年生:公式戦出場ゼロ・とことん叱られた日々
入学した1年目、鈴木唯人は公式戦に一度も出ることができませんでした。
監督からはとことん叱られていたといいます。
「どうしても市船に行きたい」と訴えて入った選手が、試合にも出られない1年を過ごす。
そのギャップは相当しんどかったはずです。
ただ、この時期があったからこそ、2年目以降の成長が意味を持ちます。
2年生:高校選抜入り・ドイツ国際大会で欧州相手に通用
2年生になると、鈴木唯人は試合に出始めます。
朝岡監督のインタビュー後編によると、この時期に監督は重要な決断をしていました。
市船を離れることがほぼ決まっていた朝岡監督は、「この1年は唯人に投資したい」と考え、高校選抜に送り込みました。
そして高校選抜でドイツ・デュッセルドルフ国際大会に参加。
対戦相手はこちら。
⚽ ブレーメン(ドイツ)
⚽ フランクフルト(ドイツ)
⚽ エバートン(イングランド)
欧州トップクラブのユース組織が相手です。
その同世代を相手にしても、鈴木唯人は十分通用することを証明しました。
3年生:10番を背負い・選手権2回戦敗退で号泣
3年生では、市船の10番を背負います。
朝岡監督のインタビューによると、この年にミーティングの場でチームメイトやスタッフに感情をぶつけ合うエピソードがあったといいます。
朝岡監督は「堂々と意見をぶつけ合えるようになったか」と嬉しく感じたと語っています。
1〜2年生では考えられない行動だったという言葉が、彼の成長を物語っています。
ポジションも変化しました。
3年夏ごろまでは右サイドハーフ。秋以降はツートップの1角へ。
しかし高校サッカー選手権2回戦、日章学園にPK負けで終戦。
号泣する鈴木唯人の姿が印象的だったと記者が証言しています。
「どうしても市船に行きたい」と訴えた中学生が、涙で終わった高校3年間。
市立船橋時代が今の鈴木唯人を作った理由
SCフライブルクのピッチに立つ今の姿は、市船の3年間なしには語れません。
朝岡監督が「最後の1年を投資したい」と思わせた強み
朝岡監督のインタビューによると、市船を離れる年に「この1年は唯人に投資したい」と決断した理由があります。
突出した武器がないように見えた彼の中に、監督は「何か」を感じ取っていたわけです。
指導者が「この選手に賭ける」と思わせる何かを持っていた。
それ自体が、才能の一種だと思います。
欧州向きのプレーセンスはここで磨かれた
朝岡監督は鈴木唯人のプレースタイルをこう評しています。
無理に打開せずスペースを有効に使うプレー、リスク管理しながらのビルドアップ。
欧州サッカーに向いたスタイルと評されました。
ドイツ・デュッセルドルフ国際大会での経験が、そのスタイルを本人に確信させた部分もあったはずです。
清水エスパルスへ・スカウトが太鼓判を押した理由
高校卒業後の進路でも、鈴木唯人は自分の軸を曲げませんでした。
キャリアまとめnoteによると、清水エスパルスのスカウトはこう語っています。
周囲からは「J2の方が試合に出られる」という声もあったといいます。
しかし彼はJ1の清水エスパルスを選びました。
市船入学を自分で勝ち取り、2度の保留にも屈しなかった人間が、プロ入りでも高い舞台を選んだ。
2019年10月には清水エスパルスへの加入内定が正式発表。
W杯メンバー選出時、清水エスパルス公式もすぐに反応しました。
そしてその選択が、SCフライブルクへの道につながっていきます。
鈴木唯人の怪我とW杯出場の最新状況はこちらで確認できます。

鈴木唯人のプロフィール・経歴・代表キャリアをまとめて知りたい方は、こちらの記事をどうぞ。

まとめ
この記事で押さえておきたいポイントをまとめます。
✅ 同学年に畑大雅・鷹啄トラビスがいた
✅ 入学を2度保留されたが「どうしても市船に行きたい」の一言で決定
✅ 1年生は公式戦出場ゼロ
✅ 2年生でドイツ国際大会に出場し欧州ユースと渡り合った
✅ 3年生で10番を背負い、選手権2回戦敗退後に号泣
✅ J2の誘いを断り、J1の清水エスパルスを選択
2度保留されながら熱意で扉を開き、公式戦ゼロの1年目から欧州基準のプレーセンスを磨いた3年間。
今のSCフライブルクでの活躍は、市立船橋での原体験と地続きです。
今後も鈴木唯人の挑戦を追い続けます。
